Jul 16, 2006

孫悟空の金の輪っか

ああ、このココログの管理画面に文を書くのはどのくらい久しぶりなんだろう・・・。
前回ほっぽり出した(?)ときは、なんだかしょ~もない自我のゴミを撒き散らしてるみたいな気分になってしまって、それでやめてしまったんだっけ・・。

本サイトからこっちにリンクを張る度胸がようやっとできて、書きたいことは山ほどあったはずなのに、いざこうしてみるとなにも紡ぎだされてこない自分に驚いてしまう。

文章の人間ではないんだなぁ・・と、いつの頃からか思い込んだ「自分像」の修正をする。
写真も、音楽も、育児も、どれもこれもひとりよがりのように思えてきて、それこそ人生をほっぽり出したくなる刹那を懸命に自制することにエネルギーを使う。
これでもか、これでもか、と生甲斐、やりがいを強制してくる活字文化やマスメディアから自分を守り、その海をなんとか自分のペースで心地よく泳いでゆくことの、私は母親としてそんなことぐらいでしか、娘達を見守ってやれないだろう、と思ったりする。

「答えはな、答えなんてものはな、ないんだよ」

農家に育った父はいつか言った。
自分の生きることへの抗いと、苦しみと、その日を生きることの口実探しと、そんなものでこの何年かは私という原稿用紙は、インクのしみだらけになっていた。
しみだらけで、ほんとうはなにが書きたかったのかがわからないぐらいに。
ただ、苦味と辛味と、なぜこんな味しかわたしはしないのか、そんな味しかしない私の舌のいったい何がおかしいのか、そのワケを知りたかったような気がする。

人は、人間は不安と恐怖にイチバン弱い。
自分の力で生きていると、ハナから信じて疑わなかったある日そのとき、その大地が根底から覆されるような出来事が「ふりかかる」。

混乱し、叫び、自分というものを見失ってしまう。
そして、足元の地面に意識を向ける余裕さえなくなってしまい、ただ生きるだけの、いや、生きることも死ぬこともできなくなったそのときに、人は自分の中に黙して横たわるケダモノに気がつく。

そのケダモノに目覚める力をかしているのはほかならない自分だ。
自分が動かしているのに、鎮めようと全精力を傾ける。
アクセルとブレーキを床の底にべったりはりつくまで、同時に踏み込んでいるようなものだ。
苦しくて苦しくて、逃げたいのに逃げる場所がない。
だって全部ジブンの中で起こっているコトだからね・・・。

そしてまた、疲労困ばいする。
そしてもう、このケダモノを消すことはできない、なぜならこのケダモノも、なんだかよくわからないけど、宇宙や自然をつかさどる大事なチカラの一部分らしい、ということがじぶんのカラダの中でおぼろげながら、靄のように感じられてくる。
だから、嵐もシケもうららかな晴れも頬をなでる優しい風も、すべてはじぶんのココロとカラダの中で起こりうることなのだ・・・と。

それなら、嵐には備えなくてはならない、シケにあっても外に出て行かなければならないときのためにココロを鍛えるコトも必要かもしれない・・と。
それでも、あっという間になぎ倒されてしまうのかもしれない。
そして、その虚しさに嘆く時間もないほど、次の嵐がおそってくるのかもしれない。

おだやかな晴れの日にはほっと安らぐことができ、「感謝できる」ということの余裕をもちえる豊かさに気がつく。
少し楽だから、隣の人に話しかけてみよう、なにかできることがあれば協力しようと思える何か理屈を超えた「源泉」から湧いてくる思いに、ありがたい・・・と思わず手を合わせる。
ジブンがしたことで他の人が喜んでくれる、ということの真の喜びを噛み締めることのできるジブンに気がつく。

そうやって、営々と脈動する世界の一部である「ジブン」というものに、どんなに泣こうがわめこうが、決して抗うことの出来ない「サムシング・グレート」に、もしかしたら、それがお釈迦様の掌の上なのか、とにかく、支えられて生きている、生きているのじゃない、生かされているということの門の前に立ちえた、そんな気がしないでもない。

岩に閉じ込められていた孫悟空のアタマを締め付ける金の輪っか(「緊箍児」(きんこじ、別称「金剛圏」とゆうらしい)は、いつしかケダモノに同化してしまいそうになることへの教訓と戒めなのかもしれないな。

農業や漁業が生業であった時代には、否応ナシにカラダで学び知りえていたことが、今この時代には一度精神やアタマを通して通らなければならない道のように思えたりして、どちらが楽なんてことはゼッタイにないにしても、「正しい答えを求める」教育を骨の髄まで沁みこませて育った私たちには、タフだ。
だから、農家に育ち、片道1里半(約6キロ)の山道を歩いて分校に通った父には、私とはまったく違うものの見方で世界が見えているのだろう。

家を出、ペン一本で母と私を食わせてきた父の足元には、ぶっとい根が張っているようにも思えて、今、父は前立腺癌と戦いながら相変わらずシゴトの前線にいるけれど、女はそんなことを考えなくてもいい、そういうことを考えるカラダをしていない!と言い、そのたびに私はどこかでホッとしていた。そんな父がわたしは、父だから、じゃなく、ずっと羨ましかったような気もする。

しっかし、十牛図にあるような、牛の背中で悠々と笛を吹き吹き道を帰るあの境地に、この生のあるうちに少しでもたどりつけるときがあるんじゃろか。
でも、もし毎日がお釈迦様の掌のうえなら、同じ悪さをするんでも、もすこし心持ちがちがってくるやもしれん、も少し楽にけけけ、と悪さができるやもしれん、そんな風にふと思ったりもする。
そういえば、孫悟空は掌で小便たれたんだっけな。
嗚呼、わたしってば結局なんも変わってないやん。
しょ~もな!

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Apr 09, 2006

ゆるゆる再開

大変ごぶさたしております。

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ここのところ■魂の実(タマノミ)■にかかりきりになりまして、すっかりほったらかしになってしまいました。
当然ランキングなどというものも、おそらくはランク外かと。(気にしないサと思ってはいても、訪ねるのがオソロシイ・・)

またゆるゆると更新してゆきたいと思っています。以前ほどの頻度は難しいと思いますが、どうぞよろしゅーに!

オヒマ潰しにタマノミも覗いてやってください。

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Feb 08, 2006

レゾナンスは覚悟がいるのだ。

ヘビーなエネルギーの一因がわかった・・・ような気がする。

「低周波微動」と呼ばれる微小な地震がこの半月で日本列島をゆっくりと北上していったらしいのだ。

「低周波微動」とは、ゆっくりと長い周期でわずかな揺れが続く現象のことで、愛知県内と紀伊半島でそれぞれ独立した発生は観測されていたが、伊勢湾を越えての広範囲にわたる発生は初めてらしい。
(2/8朝日新聞)

私のテーマのひとつは「レゾナンス(共鳴)」なんだけど、こういう共鳴もあるからコトははっきり言ってヘビーなときもままある。

だいたい、自然エネルギー現象の大きく動く時はカラダに来る。
低周波なんて、ちょっと敏感なヒトにはたまらない。
今回も行く先々の3箇所で倒れる人を目撃しちゃったし。
私の場合は、いつもの5倍くらいの重力を感じて地面に貼り付けられるような感覚だ。

阪神淡路大震災の前は、1週間ほど寝込んだ記憶があるし、何年か前に富士山の地下で低周波地震が続いた時もかなりのモノがあった。

だから、こういう記事にはとても敏感になる。
地球上のどこかでは、毎日のようにマグニチュード7クラスの地震が起きているんだけど、最近のはちょっと今までとは感じが違うんだなぁ。
なんというか、ヘビーかつ、ディープというか・・。

それに対して、9/11のときのような「人災」感情に来る。
わけのわからない破壊的なエネルギーのうねりに巻き込まれて、感情のコントロールが難しい。もう布団でもかぶっているしかない。

そして、両者の場合も、ある瞬間ふっと楽になる。
まるで夢でも見ていたかのように、解放される瞬間があって、だいたいその何時間かあとに物理的な「現象」となってコトの次第がはっきりする。
ちょうどプレート同士の溜まり込んだエネルギーの解放が起こって地震が起きるみたいなもんだ。

私たちは地球の一部であり、宇宙の一部だ。
もとを正せば、感情も身体もエネルギーなんだ、ということをよくわきまえておかないといけない。
今、突然わいてきた怒りは、もしかしたら地球の反対側か、異次元か、はたまた宇宙のどこかので誰かが発したものかもしれないし、それがある規模のエネルギーに達すれば、それは地球の意識ともいえるものになる。
地球の意識自然現象になって表現されることもある。
そのエネルギーの海に、私たちは奇跡の生命を生きている。

インターネットの網は目には見えないけど、瞬時に世界の誰とでも繫がるし、偶然でも変なサイトに着いちゃったときは、やっぱりコワイ。

だから、私たちはできるだけ自分の意識と感情責任をもたなきゃならないんじゃないだろか。
私たちは、「グレート・スピリット」の一部そのものだ、とも言えるかもしれないからだ。
NATIVE と呼ばれる人たちは、もっと地球に近い意識だから逆にもっと自然に素直でいられたんだろか、などと思うこともある。

「何もそこまで背負わなくても・・・」って言われる。
でも、多少なりとも感じちゃうんだから仕方ないよなあ~。
私の感じてるものなんて、「へ」にも満たないものだとはいえ、全部いちいち感じていたら、それこそ命がいくつあっても足りないだろう。

だから、「知らない」というコトの叡智にも感謝しないとね。

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Feb 04, 2006

八幡宮で節分祭

2月3日は節分だ。太陰暦のお正月。

あけましておめでとうございます。

これで日月揃って、名実ともに新年を迎えたワケだ。

なんと実家のある鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮で娘と豆をまく機会をいただいた。

ひたたれに烏帽子といういでたちで、本堂にて厄除式をとりおこなったあと、少し前の記事で書いた、鳴弦式を拝観することができた。

厄除式では、海の幸と山の幸を捧げ、をあげ、大太鼓を打ち鳴らし、横笛に続いて、ひちりきと笙の音が本堂の空気を凛と整える。

からだの細胞中にたまった、もやもやしたものがそのにはじきとばされてゆくのが今回ははっきりとわかり、大いなるものに捧げものをして感謝をし、魔をよけ生活を整えるという日本独自の精神性が身に染みて嬉しかった。

静御前の舞いをおこなう舞殿にては鳴弦「びぃ〜ん、びぃ〜ん」という音が空を裂いて響きわたり、豆をまく舞殿の場を整えた。
やがて私たちも舞殿にあがり升に入った豆を撒かせていただいた。

今年は寒さの影響で梅の開花も一ヶ月遅れるそうだ。昔の日本人は、季節の節目節目にきちんとこうした儀式をしながら、大自然の営み敬意をはらい、毎日の生活五臓六腑を整えるということに意識を大きく向けてきたんだね。

実にあったりまえの事なのに、そのあったりまえの事がなかなか叶わないご時世だ。

いつの世も人心が乱れマツリゴトが乱れると、自然の乱れが何故か起こり始める。

私はユーモアをだいじにしながら、その世の乱れと気の乱れに惑わされない精神性を持ちたいことだよなぁ…と深く深く感じいったのでありました。敏感人には敏感人の人しれない苦労があるでごわすよ…

追記

昨日からPCを離れておりまする。これは携帯からの投稿でして、コメント等へのお返事ができかねますこと、ひらにご了承くださいませ。

明日は猛寒波だそうです。みなさまご自愛くださいませ。(^-^)

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Jan 31, 2006

琵琶湖の龍神さんは何思う

ya このブログでコメントのやりとりをさせていだいている、Monkさん(エネルギー、意識、そして癒し)にご招待いただき、琵琶湖のほとりにインディアン・フルートを吹きに行ってきた。

琵琶湖の湖西といえば、ホツマツタエがひっそりと伝えられてきた土地だ。詳細の場所はわからずとも、大いに興味があった。sirahige

何日か前に雪がかなり降ったということで、比良山は雪化粧、そのかたわらに広がる初めての琵琶湖は、民家のすぐきわまでとうとうと水をたたえ、日本人の精神性にどれほどの情緒を与えてきたかが、直観的にあまねく響きわたるものがある。

夕方、琵琶湖のほとりにある白髭神社に案内していただく。この神社は湖西蓬莱七福神のひとつで、御祭神は猿田彦命、「白髭さん」とか「明神さん」ともよばれ、長生きの神様として人々に親しまれている。豊臣秀頼によって慶長8年(1603)年に再興された本殿は、桃山建築の美が感じられる建物で、重要文化財にも指定されている。

近江最古の神社で、湖の中に鳥居があり、近畿の厳島神社ともいわれており、湖中に建つ朱塗りの大鳥居が実に実に美しい。
宮殿の裏側には、天の岩戸として祀られている岩組があるらしいが、もう暗く拝観は叶わなかった。

湖面に立つ大鳥居に向かうと、腹の底から「うをを~ん、うをを~ん」という声が繰り返しうなり始め、でっかい龍の水神さんが、玉を咥えて今にも水面に躍り上がりそうな気配がする。
フルートを持って奉納演奏をさせていただけばよかった、と心の底から後悔した。

かたや、もう夕も暮れた夜であったので、参拝を一瞬ためらったが、これもご縁と拝ませていただく。お宮の夜の気はできれば避けた方がよいことはわかっていたのだが、なぜか拝まずににはいられなかった。

翌日は、「チャクラの会」講座にて、十牛図をモチーフに、Monkさんのリードでワークをした。十牛図は廓庵師遠禅師によるもので、京都相国寺に収納されており、ユングなどの名だたる心理学者も一目を置いた、自己探求の地図である。

色即是空、空即是色・・これがコトバでなく、何の客観性も意味も成さなくなるほど己が実と悟るまでのプロセスを描いたもの、とでも言ったらいいだろうか。jyugyuzu_06kigyuukika

ワークを終わり、その会の最期に一曲披露させていただく。比較的新しいフルートなのだが、どうもいまひとつの調子で、風が入りすぎる、。バードをいくら調整しても、本来の音が出ない。

何か言いたいことがあるらしいのだが、聞き届くことができないのがもどかしい。
おまけに吹いている途中、スピリットがやってきて、練習不足をたしなめられてしまった。あ~あ。いかん、いかん。昨夜の奉納を怠ったのが原因かな・・?などとふと思う。

とにもかくにも、初めてお会いするというのに、Monkさんの気持ちの良い新居にすっかり上がりこみ、一夜の宿まで拝借してしまった。その後みなさん、お風邪の具合はいかがでいらっしゃるだろうか?

私はといえば、帰ってから奇妙な現象を体験している。
帰宅した翌朝にテレビの「五木寛之の百寺巡礼」という番組で、昨日見せていただいたばかりの、十牛図を相国寺にて披露していたことに、まったく驚いてしまった。

いずれにしても、もう一度日の高い時間に白髭神社に参詣し、フルートで奉納させていただく、少なくともこれだけはしたほうがよさそうだネ。

*Anyway・・・
貴重な経験をさせていただき、おいしいお食事をお世話になったMonkさんと奥様に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。

また、十牛図についての詳しい説明は以下にある。私ごときが十牛図とは・・・などと言えるものではない。でも、微々たるさまざまな体験を整理する一助にはおおいになりうると思う。ご参照下さい。

承天閣美術館
http://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/treasure/index_02zenshukaiga/jyugyuzu_index.html

三法教団 十牛図
http://homepage3.nifty.com/sanbo-zen/cow.html

Photo 滋賀県PTA連絡協議会

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Jan 24, 2006

営み

星野道夫「風のような物語」を読了した。

著者の本は「森と氷河と鯨」に続き、これで2冊目。
巻末のあとがきで、「熊に食べられた星野さん」という描写に出会い、どきっとした。
熊に「襲われた」、だけではなく、「食べられた」のだ、と初めて知った。
それと並んで、「2歳の息子に沖縄を見せてやりたい・・」という、氏の絶筆の一文を読み、一度もお会いしたことがないのに、胸にさまざまなことが去来する自分に少し驚く。

その直後、手塚治の漫画「ブッダ」を思い出した。
何巻目だったか、ESPERで、未来予知ができるアッサジという子供(?)の壮絶な最期のシーンがある。アッサジは自分の死期も死に方もわかっていながら、その日を自ら受け入れる。その最期とは、オオカミに食べられることであった。おなかを空かせたオオカミの子供たちの前に自分の体を差し出すのだ。

それを見たブッダは、激しく自分を責めさいなむ。自分のやっている苦行とは、何であったのか、どんな苦行をもってしても、アッサジの行いには届かないのだ、と。その後ブッダは苦行林を出てゆく。悟るための苦行も、自ら命を粗末にしていることになんの変りもない、と。アッサジの死は、その後のブッダにはかりしれない影響を与えるのだ。

当然これは脚色された漫画の世界だし、実際にあった話なのか、私は知らない。
でも、自然の営み、というものが、この瞬間にもマクロ~ミクロの世界を通じ起こっていることなのだと観ずるとき、星野氏の写真を眺めるのと同じ慟哭と、感動と、畏敬の念が積乱雲のように湧きあがってくる。

熊は腹が減っていたのだ。

氏は、著作の中で、よく「文明の波に押し流される」という表現を使う。しかし、その文明に属している自分や文明自体のことを決して責めたりはしない
ふつふつと淡々とその流れてゆくさまにぶつかりながら、見守っている。

これはとても大事なことだと思う。
ふたつの極対立ではなく、そのサマの違いをあるがままに置いたとき、そこには邂逅が生まれる。

水と油は混ざることはないが、戦わずに同じビンの中に共存することはできる。

私もかつて、死ぬかもしれない、と思った刹那が2回ほどある。
それは何かに襲われるような不測の事態ではなかったけれど、それでもその瞬間、確かに走馬灯のように数々のことがフラッシュバックした。

一度は「死んではならない」という仏の声を聴き、一度は病院のベッドの上で正気に返った。私の今の仕事は、ただひたむきに自分の中にある戦争のひとつひとつに気づき、毎日の「営み」の中で自分自身と邂逅してゆくことだと思っている。
外=内

それが連綿と続いてきた祖先たちへのはなむけであり、子供たちへの道標になるかもしれないと、自分の中で信じている。
100匹目のサル現象がまやかしとしても、地球が喜ぶ姿を見たいと祈る百番目のひとりかもしれないのである。

アラスカ 風のような物語
星野 道夫
4094111913

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Jan 23, 2006

オーガニック・オーダーと大和魂

ya 遅ればせながら、2006年度のコズミック・ダイアリーを取り寄せた。
マヤ暦でお馴染みの、柳瀬宏秀さんが監修されており、自分の誕生日はもちろん、毎日の宇宙的視野を確認できることと、太陽と月の周期人間の意識の中で、日記をつけながら統合してゆこうとするスグレモノだ。

ページをめくってみて、またしても驚いてしまった。
ひとつ前の記事で、私が書いたことを氏もまったく同じスタンスで書かれていたからだ。最近なんだか、深いところで吼えすぎだかなぁ・・と少し消沈していたから、すっかり嬉しくなってしまった。

その一部を、少しだけさっそくご紹介すると・・・

***************************
「昨日の雨はありがたいねえ」
「ほんとに、ありがたいね」

それは野菜の立場になって、雨を感じてそのまま出たことばだから。・・・・
主語があいまいなのではなく、日本人の心は、野菜の気持ちになれるから、「私」でない意識になってしまうのではないでしょうか。あいまいなのではなく、意識が、他の人の意識になり、野菜の意識になれる。だから、「私」であって「私」と言えない感覚になるのだと思います。・・・・・・(中略)

「私」でない意識に日本人はすぐなれた。なった。虫にも、草にも、木にも、海にも、空にも、神にも。自然を感じ、オーガニック・オーダー<有機的秩序>を本能的に理解していたのです。・・・「私」でなくなることができるのが、日本人の精神と、日本文化の根底をなすものだったことに、今、気付くべきだと思います。

日本語は、一人称の「私」という主語があいまいなのではなく、「私」でない意識になれる。宇宙意識に近づく。それが日本人の魂の構造であり、本質なのです。・・・・

・・・・・何も言うコトはない。
diary2006_start

まったくその通りと私も思うからだ。そして、その魂と血を一番手っ取り早く確認できるのが、「和歌」であり、ウタであると、私なりに確信することができた。
・・・これはどうやら、ワカヒメさんの息が、やはり私にはかかっているらしい。

コズミックダイアリーは、書店では販売されておらず、以下のサイトから通販で入手できる。
cosmic diary club
http://www.async.ne.jp/cosmic/j/cosmicdiary_new.html


いったい自分は、地球上で何を表現する魂なのか、を知るためのキーワードにあふれている。ぜひお薦めしたい。
それにしても、うれしいシンクロニシティが続く最近だ。

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Jan 20, 2006

琴かき鳴らす、もののけの民

a 最近、子ブログ「魂の実」のウタを考えながら気がついたことがある。

それは、私の中に「自然(太陽や月、川や花など)のキモチになる」という感性が、ごく自然に息づいている、ということだ。これは別に誰かに習ったものではなく、日本人なら誰にでも備わっているものじゃないだろうか。それだけ、自我の境界があいまいで、本来他者の気持ちがよくわかる民族なのだ。

古来より、日本にはアニミズム信仰が民族の根幹をなし、「ヤオロズの神」が当たり前のように、生活の中に浸透している。だからこそ、ジブリの映画だって、あれほどまでに私達の奥深くにある琴線に触れてくるのだろう。「もののけ」モノ精神を持ったモノなのだ。

それに、この「琴線」という言葉ひとつとっても、実は日本人の精神性と宇宙観にとても深く関わっている。

神道には、引目鳴弦の術というのがあって、魔を祓う神器として伝えられてきたし、ソサノヲ命が八岐の大蛇を退治した時に、地上の高天の原では、アメノウズメ命が弓の弦をかき鳴らしていた。また、それを見ていたアマテル神は桑の木六弦の琴をつくられた。(今でも天皇家の皇后は養蚕をなさるよね)・・・五弦の琴はタケコ神がつくられ、五つの臓器に響き、アワのウタを教えるときに用いた。

また、六弦の琴は女の怨念を討払う睦まじき(六つ)まじき力があり、昔から夫婦睦まじくなるように、六弦の琴を新婦に持たせる慣わしがある。(私は聞いたことがなかったケド・・・)

弦の音息の音はいつの時代も魂を揺さぶる。思えば、世界中の楽器のほとんどは、「かき鳴らす」「吹く」「叩く」のどれかだろう。このどれもが根源の音を導くチカラであり、私達の生きるチカラそのものだという気がする。

話を戻すと、やはり日本人に生まれて今この時代を生きている、ということの意味をとても強く感じてしまう。私はそれほど深くないけれど、他のネイティヴの方々の文化の一端に触れるほど、その思いは強くなる。民族がどうのと言っている場合ではない、地球人としての意識が必要なんだと思ってみたりするのだけれど、でも・・・・!重力で支えられているこの「生」を思うとき、根をはり、空に伸び、実をつけ、命をバトンするということが、やはり一番、今生の地球の理に叶っているような気がする。そうしてこそ、ひとつ上の次元感覚に到達することもできるんじゃないかという。falcon2

かきわけ、かきわけ実はしっかりと根をはっている私達の血に、もう一度出会いたいとつくづく思うのだ。見渡すチカラは鳥達に、力強さは獣たちに、泳ぐ技は海のモノたちに訊く謙虚さを携えてね。

ところで、最近、己のクニを見直しているのには私なりにちょっとした理由がある。
NZのロトルアで出会った、オグララ・カレッジのチーフ、Mr.Thomas Short Bullに言われたあの一言だ。
(詳細は12/1の記事を参照ください。)

「日本人は立派な Indigenous(その土地に固有古来の)people なのだよ」

参考文献

古代文献『ホツマツタエ』が語る知られざる古代日本
鳥居 礼
4894510871

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Jan 17, 2006

万葉にみるグレート・スピリット

ya ところで、昔から、女性の長くこしのある髪を「緑の黒髪」という。

緑で黒、とは古代人の色彩感覚ってどんなん?と思ったりするのだが、これも玉が水の動きに従ってもつれあい、たゆとう様、揺れ動く柔軟な様子に重ね合わせているのが伺えるし、またミドロは、古文での「オドロ」、髪を「オドロにふり乱し」と、手入れをしない頭髪の状態をいったりした。

こんな風に、自分らの肉体にまで海藻を重ね合わせたのは、日本特有の感性といえるかもしれない。

「藻」という漢字のなりたちを見ても、水をあらわすサンズイに、植物をあらわすクサカンムリ、木の上に口がみっつで、多くの小鳥がなき騒ぐ様、それでサラサラと音をたてて流れる水中に生え、水とともに動き騒ぐ草・・・。

それに、一口に「藻」といっても、その形態はさまざまだ。
中にはあきらかに植物としての特徴と、動物としての特徴を兼ね備えている生物がいる。ウズベンモウソウはそのうちの一種で、「夜光虫」として知られているものだ。

夜、海岸に光り輝く、燐光のきらめき。日中にはその色素で海水を赤く染める「赤潮」を引き起こす。

また、ラン藻は、生命のうちでもっとも単純で古い形をしている生命体で、現存する最古の植物だ。熱い温泉の湧くところや、植物にとって条件が非常に悪いところにも存在し、池などの表面に「水の華」といわれる、色のついた膜をつくってしまう。

さて、私たちのカラダを形づくる細胞の中にも、これら「」は存在する。
おなじみの葉緑体ミトコンドリアだ。
彼らは私たちのカラダが生命活動を為うえで、呼吸代謝などのすこぶる重要な働きをしている。

私たちの遠い遠い祖先たちは、カラダの中に体液である海水生命エネルギーを代謝する藻、そして肉体をなす岩石、ミネラルを携えて命を連綿と紡いできた。

こしてみると、生命活動というものには、動物植物といった目に見える違いはあっても、その実、境界はなく広大なひとつの生命そのものと思えてくる。

大いなる意識『グレート・スピリット』と、
大いなる命『グレート・ライフ』

そしてそれこそが、グレート・スピリットの物理次元での現われ方なのだ。

万葉はおもしろい。
扉を開けると、とてつもない世界が広がっている。

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玉藻のクニ

これやこの 名に負う鳴門の渦潮に
玉藻刈るとふ 海人(あま)娘子(をとめ)ども


来ぬひとの 松帆の浦の夕凪に
焼くや藻塩の 身もこがれつつ



wa これは万葉集の歌の一句だ。
万葉の歌には海人を出して玉藻を刈る歌、刈り取った玉藻や浜に打ち上げられた玉藻を集めて集めて塩をつくるために、藻塩を焼く風景がしばしば詠まれている。

このたゆとうさまを、玉の藻玉藻と詠んだところに何ともいえぬ
万葉人の情緒が感じられるよね。

海藻といわれて普通私たちが思いつくのは、せいぜいワカメにヒジキ、コンブ、海苔、それにてん草くらいだろうか。でも、万葉の人々はこのほかにミル、ホンダワラなど30種類近くの海藻肥料としても、利用していたことがわかっている。

海藻古代の日本人にとって、とても大切な天然の海のハーブだったわけだ。

海人達は暇さえあれば海に潜ってあわびなどと共に玉藻を刈り、またこの玉藻を焼いて塩にするなど、身を粉にして働いていた。

701年に大宝律令が制定され、年中行事や租税制度もこと細かにわたって定められた。租税の中身は、コメはいうまでもなく、ノリやミル、アラメなど8種類の海藻が含まれており、その量たるやその中の6種類だけでも600kg以上に及ぶかなりの重税だったようだ。

いつの時代も庶民はにあえいできた姿が浮き彫りになるよね。

だから、今よりもはるかに美しく澄んでいた日本列島を取り巻く海も、奈良時代の人々にとっては、つらく冷たい場所だったのかもしれない。

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Jan 14, 2006

紡ぐ音律、おりなす言の葉

日本語の語源には諸説あって、いずれもが真実と認められるには至っていないようだ。
よく、英語は音とリズムの言語、日本語は意味の言語なんてことがいわれるけれど、私に限っていえば全然そんなふうには思っていない。

それもこれも「漢字」の流入(古墳時代)以来の話だろうと思っている。
それまでは文字を持たず、他のNATIVEと同じように、主に口承で伝えていたに違いない。あの縄文土器に刻まれた紋様が、じつは重要な暗号記録だとする説もあるくらいだ。
確かにどの原住民も、独自のそれでいて限りなくつながりのある紋様を持っている。

でも、これはまったくの超・個人的な直観。jyomon18

アメリカやアラスカのインディアンたちはコーカソイドがやってきてから、徹底的な英語教育を余儀なくされ、表面的には完膚なきまでに、それまでの自分達の言語を剥奪されてしまった。

母語を奪われるとは、なんというトラウマだったことだろう。
そして、カタチこそ違え、日本でもそれがなかったとは、言い切れないんじゃないか、と思うわけだ。

縄文以前の日本のNATIVEたちは、「音律」森羅万象、あまねくを刻む宇宙や自然と共鳴しながら、ことばの音そのものをカラダに響かせながら、ゆっくりと会話を愉しんでいたように思えて仕方がない。

ひとつひとつのコトバに幾重にも次元が重なり合って、そこからであるとか、マルチ・ミーニングであるとかの世界観が広がり、そのうちのいくらかは、和歌などに引き継がれていったように感じる。

発音に関しても、今のカタカナで表されるように母音が妙にはっきりとしたものでなく、むしろあいまいな「ぅあ」とか「ヴぁい」「ッイぃ」みたいな音があったように思う。

それはメロディに近く、とてもたおやかで安心するようなコトバだ。
詔や言霊関係の書物を開くと、その片鱗はうかがえる。

アメリカンインディアン、特にズニのコトバにはかなり日本語との共通点がみつかっているようだ。そして、ラコタ・・!
何度でも書くけど、ラコタのコトバを聴くと私の中の縄文を観ずる。1996-07-a-print

縄文語は、太平洋を自在に行き来していた海洋民族オーストロネシア諸語とシベリアや樺太一帯のツングース諸語が混在したものではないか、といわれている。
しかし、言語の系統は必ずしも人種や文化の系統とは一致しないから、解き明かすことは難しいだろう。

どっちにしても、日本語の音やリズムをもっともっとゆっくりと、カラダを揺らして愉しむべしと思う。
たとえば、十一(ジュウイチ)はヤマトコトバで「トオアマリ」。なんともゆかしき音律と広い感性ではないじゃろか。意味を追うだけじゃなく、耳に快い音は、自然や宇宙に調和している。言葉は言の葉、琴の端、光透波とする由縁だ。

きっと、必ずカラダが覚え智っているものがある。

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Jan 12, 2006

火の紋様とカラダをめぐる風

a 子供の頃、土器を掘り出したことがある。 

どういうキッカケでその場所に行ったのかは、とんと覚えていない。
クラスの友達に誘われて、無心についていった先は農家の庭先にある、ごく浅い小川のような所だった。

すでにもう何人かの子供が来ていて、皆「発掘調査」に夢中になっていた。
私もしゃがんで、そこらにある石で水の流れる石床をがりがり掘ってみると、ほどなく火の紋様のついた、何かの取っ手らしき欠片と、長さ7センチほどのナイフ状の石器を掘り当ててしまった。

ものすごく興奮した。jomon

さらに続けて掘り続けると、縄の紋様が斜めについたものなど、全部で4つほどの欠片を手に入れた。友達は手ぶらだった。
翌日社会の先生に見せると、博物館に持っていきなさいと素っ気ない返事。 でも私はそうしなかった。

思えば、<NATIVE>というキーワードを自分の中にセットしたのは、この時からかもしれない。
数千年~もしかしたら1万年以上も昔の祖先たちが、創り、使っていた道具が今自分の手にあり、握りしめるとカラダを流れる血の中に、何事か囁きかけてくる風があった。
それがなんなのか、いくら歴史を勉強してもさっぱり教えてくれるものはなかった。

縄文。

私達が NATIVE JAPANESE であることを唯一証明する、火と土の記号
ルーツとアイデンティティーを渇望する、現代の巨大な自我。

でもあの石器と土器は、とても大事にしまっておいたのに、引越しを繰り返す中で行方不明になり、文字通り土と風に帰ってしまった。

ところで・・・
NATIONAL GEOGRAPHIC社とIBM、アリゾナ大学が共同で、あるゲノムプロジェクトを行なっている。自分の祖先6万年をかけて、どのように地球上を旅してきたかが、遺伝子の解析でわかるというものだ。<THE GENOGRAPHIC PROJECT>

genographic_logo

キットは送料込みで125$だから、約1万5千円強というところか。
ただし、異常のある遺伝子や病気の予測などは一切できない。あくまでも DEEP ANCESTER(遠い祖先) のツリーを予測するプロジェクトだ。

最近、アメリカのネイティヴ・アメリカン関係のサイトを訪問すると、DNAを解析して自分達の血に誇りを持とう・・というポップアップによくお目にかかる。

わたしたちはどうだろう?
少なくとも、NATIVE JAPANESEであることに揺るぎない基盤を足元に据えて、何代か先の、いや自分の子供達に注ぐ視線は澄んでいるだろうか?
もっとその前に、今ここの自分という人は、未来の子孫たちの、礎となる祖先たりえているのだろうか・・・・・?

PHOTO:北橘村

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Jan 11, 2006

インディアン・サマーと徒然草

今日は暖かかった。
昼間はコートを着ていると暑いくらいだった。

小春日和・・・インディアン・サマーともいう。
ほんとは、晩秋の小春日和のことをいうらしい。アメリカンインディアンが秋の穀物の収穫をし、雪で覆われる長い冬の準備をするこの時期を、「ビューティフル・インディアンサマー」と呼ぶ。

語源はどうもはっきりしない。
1778年頃よりアメリカンインディアンの間で使い始められ、現在のアメリカの人達には歓迎すべきよい日として、言い伝えられているようだ。アメリカの作家で詩人のシャルアンダッシーという人が、彼の詩集の中で、喜びと感謝をこめて、暖かいうっすらと薄い煙がたちこめたような夏の戻りを「インディアン・サマー」と呼び、多くのアメリカンポエムの中でとりあげられてきた。

神話に出てくるスピリットが、冬眠前に特大のキセルで吸うタバコの煙が、こうした暖かな日を呼ぶ・・・という説もあるらしい。想像するとなんだか微笑ましいよね。

farm4 一方、日本の小春は辞書によると陰暦10月のこと。
これは、旧暦正月の前というから、1月から2月初旬にかけて、ということになる。語源は徒然草の第155段部分らしい。

『春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、
十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に。持ちとる序甚だ速し。生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。』

なんとまあ、インディアンサークル思想とまったく同じじゃないか・・・! 知らぬが仏が聞いて呆れてしまうなあ・・・

春の兆しを感じさせる天気の中、新芽が出始め、梅の蕾も膨らんで来た様子がありありと目に浮かぶ。

インディアンサマーは、黄金色に光る穂に吹き渡る風、たなびく煙と白いTシャツ。
小春日和は、梅の桃色の蕾とぽっくりほこほことした縁側の穏やかな陽ざし。

勉強不足は恥ずかしいけど、どちらも五感にたっぷり響いてくる、素敵なコトバだよね。

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Jan 10, 2006

死の祝祭・クジラと陣太鼓

1988年11月、北極海沿岸のエスキモーの村、ポイント・バローの近くで3頭のコククジラが氷海に閉じ込められた。世界中のマスコミが見守る中、必死の救出作業が展開された・・・(中略)・・・この時の1頭のクジラが、過酷な自然の中で生きるホッキョクグマの、どれだけどれだけ多くの生命を支えることになっただろう。大きな自然の約束がどこかで見えなくなっていた。1人の古老のエスキモーが呟いた。
「時代は変わった・・・。昔なら、このクジラは自然からの贈り物だ」
__________『アラスカ 風のような物語』 星野道夫著 より



私は魚はさばくが、食べるための動物をこの手でさばいたことはない。香港に行った時、立ち並ぶ店先で客が籠の中のニワトリを指差すと、その店の主人はあっという間にそのニワトリの首を絞めてほいっと客に渡す光景を見たことがある。それに、もう死んではいたが、道端にずらっと横たわる、ブタの顔の皮を剥いでいるところも目撃した。

あまりにも「死」というものが、非日常の中で、「悪」としてカテゴライズされ始めて、もうどのくらいになるだろう。

私たちが生きるためには、食物となるものの、「死」をこの身としなければならない。そしてその死は私たちと共に違う「生」を生き始める血の温度内臓の色は病院の中だけのものになり、わずかに女性が月に1度の祝祭を、痛みと憂鬱と共にひっそりとやり過ごすだけになってしまった。

殺される、病で死ぬ、というばかりが目に飛び込んでくる現代。

祖母が73歳で死んだ時、私は小学3年生だった。土間や蔵、井戸のある、古くから代々受け継がれてきた農家の一番奥の部屋に、祖母の遺体は安置されていた。
私は、悲しいというよりも、妙に身体の奥底が熱くなり、踊りだしたいような感覚にとらわれたのを覚えている。でもそれは、決して楽しくて踊りたいのとは違うのだ。

死後時間が経つと、身体は硬直してくる。地方によっては違うかもしれないが、昔は人が死ぬと胸の上で手を組ませ、膝を立てて寝かせた。通夜が終わり、葬式の段になると、葬式やの男達がやって来て遺体の布団をはがし、慣れた手つきで、くきっくきっと立膝の関節を伸ばし、「せーの」という掛け声と共に祖母の遺体を棺に納めた。あっという間だった。

「どん、どんどん」と陣太鼓を鳴らしながら、村中の人が墓地まで行列した。祖母は焼かずに土中の人となった。あたりに彼岸花が真っ赤に燃えていた。あの子どもだった私が感じた奇妙なあやし愉しさは、何か名前がついているものなのかもしれない。

インディアンたちが狩りの前に火の廻りを踊ったのも、決して士気を鼓舞するためのものだけではないと、断言できる。

「死」「生」だ。「生」「死」だ。四季はめぐってサークルを閉じ、次の世代へと命を紡ぐ。私たちは、どうしてこんなに離れたところに来てしまったのか、それを思うと悔しくて胸の奥がじーんと燃える。

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Jan 09, 2006

天女問答

あっという間に松の内が過ぎ、帰省を終えてようやく家に戻ってきた。
帰る前日、父の書斎にある書棚の、とある本になんとなく目がとまった。

『般若心経の読み方~日本人のこころのよりどころと再会する』

そして、ぱらっと開いたページを見て驚いてしまった。ひとつ前の記事で書いた「天女」舎利弗のやりとりがこと細かに書かれてあったからだ。・・・ははぁ~ん、これは天女からの答えだな。そう思った。その内容はというと・・・


kitijyotennyo 維摩居士文殊菩薩のすばらしい法話に感激した天女は、聴衆の上に天の花を降らせ、その花びらを必死に振り払おうとする出家者たちに「自分達は粗末にして、色華などには目を向けてはならない」とこだわる、そのコダワリをからかいながら戒めた。

「どうしてあなたは男にならないのか?」

天の花の一件の采配に感心した舎利弗は、天女に訊ねる。あれだけの神通力をもった方がどうして女なのか、と。

小乗仏教では、男しか仏陀や菩薩にはなれないことになっている。一見、なんとも差別的な思考だけれど、大乗仏教では必ずしもそうではないらしい。むしろ、仏陀や菩薩は男女の性別を超えた存在とされているようだ。

この質問を聴いて、天女は自分を舎利弗に、舎利弗を自分の姿に変えてしまう。そうして

「なぜあなたは天女の姿を自分に変えないのか?」

と逆に舎利弗に聞き返すのだ。

う~ん、なんとも小気味のいい。
これぞ女のある姿だ、と思わず膝を打ちたくなるものがある。
舎利弗といえば、釈尊のとっておきの一番弟子といってもいいくらいの人物だ。そのお方も天女にかかってはカタナシなのです。

舎利弗はあわてふためき、「いっこうにわかりません」と答える。

すると、姿かたちは舎利弗である天女は、天女の姿をした舎利弗に、男や女というものは表に現われた、働きの仮の姿であって本質ではない、本来男の本質、女の本質というものは空に過ぎない、と厳しく舎利弗を戒める。

さらに慌てふためく舎利弗を天女は元の姿に返してこう訊く。

「今まであったあなたの女の姿はどこに行ったのですか?」

すると舎利弗は、

「わたしは別段女になったわけでもなく、また女から変わったわけでもありません」

ここで天女はすかさず、

「その通りです。」という。

「あらゆる存在はつくられることもなく、また変えられることもありません。」

これぞ「空の思想」の本髄というところだ。

私が夢で体験した、空の恍惚も、つまりはこういうことなのだろう。物質~エネルギー世界を貫く意識次元での「感触」というものは、どこまでいっても一切がであり、したがって「こうでなければならない」とこだわるのは、要はであるという・・・。ううう・・・わかるような、わからないような。ついでに、天女が女性なのかどうか、という疑問にもしっかりお答えいただいてしまった。 とりあえず、ありがたや。

私たちは、経験世界を縦横無尽に駆け抜ける、光の存在だ。ひとつひとつの経験はそれぞれ完結しているとも言えるし、そうでないとも言える。だから思うとおりの人生つくりゃいいのにジタバタする。まあ、このへんは人間体験の旨みとでも言ったらいいのか、そういうことにしておこう。

しかし・・私も何か質問してみればよかったなあ、天女に。あの時はそんな余裕もないほどの恍惚だった。どんな問答になったのか、今夜はひとつ想像してみることにしよう。

入門 般若心経の読み方
ひろ さちや
453403539X

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Jan 02, 2006

虚空からのエンドルフィン

『天衣無縫』 という熟語がある。

天衣とはいうまでもなく、天人の着る衣のことだ。『霊怪集』という説話集に出てくる。
宋の時代、天から美しい女が舞い降りて来て、若者と契を結ぶ。女は「織女(しょくじょ)」と名乗ったが、その衣には縫い目がひとつもなかった。本来は無邪気、見事である、の意。

日本の能にもなった『羽衣』『鶴の恩返し』もテーマは同じだよね。

昨日は初夢だったけど、昔まさに天女の初夢を見たことがある。どこかの見知らぬパステル色の砂浜に私はいて、すると空からするする〜っと天女が舞い降りて来たかと思うと、絹のような長い衣の裾で私の顔をさあ〜っと撫でていったのだ。……その時の心地といったら!

酔生無死&昇天。

絵にも描けない美しさ、言葉で言えないオルガスム。その夢がもたらしたエンドルフィンは起きてからもなお続いた。いや、今でも思いだすと光惚となる。

いったいあの夢はなんだったのだろう。

それに今になって考えてみると、天女は天女だったけれど、はっきり「女性」といいきれない気配を釀しだしていた。天人、天使とは西洋の絵画を見ても、男とも女ともとれる要素が見てとれるように思うし。

彼らは空気がなくては生きられないような存在ではないし、まして物質的な触感をとして感じさせながらであるという、このなんという甘美なパラドクス

彼ら(彼女)は太陽も身のうちに抱いたヘルマフロディトス(両性具有)なのかもしれないし、居住する次元は違っても、ああしてちょっとしたオイタをしに降りてくる優美な隣人ともいえるのかも。

ともかく…
昨夜は初夢を逃してしまったから、佳き夢をお祈りして今夜こそ!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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Dec 31, 2005

年末のご挨拶

今年6月にブログを始めて半年が経ちました。この短い半年の間にも、書き続ける意味を失い、やめようと思ったことが何度かありましたが、そのたびに皆さまからのコメントやメール、ランキングでのご支持に励まされてきました。

持久力のない私が、今年の終わりにこのようにお礼が申し上げられるのも皆さまのおかげです。

本当にありがっちょん、ちょん!!

よいお年をお迎えください。また来年もalowanをどうぞよろしくお願いします。

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人生はハッピーなんだ。ただそれだけなんだよ。

kahanamoku-duke  デューク・カハナモクは1890年ハワイに生まれワイキキビーチで成長した。

教会の厳しいサーフィンへの弾圧を逃れた100年前のワイキキビーチは、まだ人知れぬ小さな小さなリゾートだった。デュークはそこで兄弟たちと一緒に、ひっそりとサーフィンを守り続けた。

現代の音楽を語る時にビートルズを欠かせないのと同じように、デュークなしにはサーフィンを語れない。デューク近代サーフィンの父と言われているほどだから。

デュークはスイマーとして卓越した技術を持ち、クロール泳法を編み出した事でも知られている。

一度は肌の色のために世界記録を認められなかったものの、22歳の時にはストックホルム・オリンピックにアメリカ代表として出場した。そして100メートル自由形で世界新記録を達成して優勝したあとは、17年にもわたって世界記録の王座に君臨し続けた。

デュークは一躍有名になり、世界中の水泳競技に招かれるようになった。その行く先々でサーフィンを披露し普及に努めたんだ。

私の手元には近代サーフィンのパイオニアのひとりフレッド・ヘミングスが書いた「ハワイアン・サーフ・ストーリーズ」という一冊の本があり、彼が晩年のデュークと共に過ごした貴重な想い出の数々が綴られている。

『デュークは気品にあふれ忍耐強かった。聡明で賢かった。正式な教育を受けていなくても、常に自分に満足し、自信に満ちあふれ人生についての直観的な判断力を持っていた。』

この一文は、とても大きな示唆を与えてくれる。
大自然と共に肉体的にも感覚的にも体験を培うことをやめた時、わたしたちはどこかぎこちない存在になってゆくのかもしれないね。 だって大自然には言葉や理屈じゃない父性と母性をカラダごと体験する場だから。あらゆる直観と五感が、好むと好まざるとにかかわらず開き始めようとする。が、匂いが、が、そして手触りが、その感覚の境界を越えてひとつに混ざり合い私達を霊妙な世界へと誘う。

デュークのような人に理屈はいらない。そこにはただ豊かさがあるだけだ。このCDにはデューク本人のコーラスが録音されている。デュークが長年苦楽を共にしてきた、ワイキキビーチ・ボーイたちの、とびきり愉快なバンドライヴだ。これを聴くと涙が出るほどそれがわかる。
人生はハッピーなんだってことが。

Beachboy Party
Duke Kahanamoku
B00002EQ7W

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Dec 27, 2005

ハワイ伝承の中のサーフィン

冬だ。

だから、サーフィンと言われてもちょっとピンと来ない。
でも、冬だからこそ、波を感じたい、ということもあるでしょ?

「エンドレス・サマー」という映画。セネガル、ガーナ、南アフリカ、
オーストラリア、NZ、タヒチ、ハワイと、ほぼ一年をかけて世界の波と終わらない夏を追いかけ、地球上を旅した2人の若いサーファーのロード・ムービー。

私はサーフィンをやったことはないのだけれど、見たり語ったり読んだりするのは大好きだ。片岡義男「町からはじめて旅へ」とか、池澤夏樹「ハワイイ紀行」とか・・・
以前地元のFM局で、海をテーマにした番組のボランティア・ナビゲートをしていた時、特に評判が良かった話題を今日はご紹介したい。

ハワイ伝承のサーフィンについて。blackandwhite

ハワイの古い伝承の中にはフラチャントに負けないくらいサーフィンが頻繁に登場する。大昔のハワイでは、アリィと呼ばれる酋長階級の男達が、サーフィンの技術を競って磨いていた。サーフィンの腕前をタネに女性を口説いたり、自分の地位を保つためには、様々な格闘技とともに、サーフィンを巧みにこなすことが特に重要だったのだ。そのうえ、自らの腕前を讃えるサーフィン・ソングをうたう専任のチャンターをつねに召抱えていた。

そして、酋長たちのサーフィン競技が開かれるときには、必ずと言っていいほど、熱狂的な賭けがおこなわれていたらしい。「これ」と見込んだ酋長サーファーに、平民全財産を賭けることもあったそうだ。

賭けた酋長が負けたりすると、とてつもない責めが待っている。自分や家族までもが、勝った酋長の奴隷として生きなければならなかったり、殺されてしまうこともあったというから、いかにサーフィンに命をかけて男達が取り組んだか・・・想像がつくような、つかないような。

いったい、どこの誰が初めて波に乗ったのか・・・おそらくは南太平洋のどこかの島で、ごく自然に、ある日それは始まったのだ。最初はただ、板切れの上に腹ばいになってパドリングするだけのもの(カハ・ナル)だったらしい。ところが18世紀になって、キャプテン・クックがハワイを発見した時には、すでにサーフィンは島民の生活の一部だった。クックの航海記にはこう記されている。captaincook

『このような高度な、そして危険な技をやってのけるハワイアンたち、彼らが見せる身のこなしと大胆さには驚嘆に値する・・・・・』

サーフィンは、一箇所から広まったというより、南太平洋のタヒチ、サモア、トンガ、ハワイの源流であるマルケサス諸島、そしてアフリカのセネガルや象牙海岸で、同時発生的に生まれたという説もある。ハワイでは、彼らがサーフボードを作るための樹を切り倒すときには、根元に赤い魚を埋めて神に捧げものをした。

ウクレレにも使われるコアや、ウィリウィリといった固い樹木をそうした宗教儀式のあとで切り倒し、荒いサンゴでやすりをかけ、オアヒという石で磨き上げたそうだ。その後バナナなどの汁で色をつけ、クワイの実からとった油をすりこんだら完成だ。

olo 当時のハワイは王朝国家だったから、たくさんの神々に支えられたタブーと呼ばれる階級差別制度が、こと細かに生活に入り込んでいた。酋長達はこのタブーを利用して、自分たちだけのサーフィンエリアを持っていた。

その代表が、あのワイキキだ。ワイキキのような遠浅の砂浜と、長く一列になって押し寄せてくる波のコンビネーション、というのは、実はハワイでは珍しい。オロと呼ばれる、身の丈の2倍もある巨大なボードは、酋長や貴族階級にだけ許されたもので、そんなボードでは、当然遠浅のゆるい波にしか乗ることはできない。ワイキキは、昔から優雅な場所だったんだね。ちなみに、カメハメハ一世がサーフィンを覚えたのは、ハワイ島のコナだ。

FMでは、こんな話の合間にいろいろなハワイの音楽をかけた。ここでは、それができないのが残念だ。右に少しご紹介しておくので、機会があったらぜひ聴いてみてください。ただ、残念ながら、amazonではカバーできないものの方が多いので、興味のある方はこちらからどうぞ。チャント、ウクレレ、ハパ・ハオレ・・・ハワイの音楽ならなんでも揃います。

MAUI MUSIC http://mauimusic.net

ところで、ハワイのサーフィンを語り始めたら、どうしても語らずにはおけない伝説のサーファーがいる。Mr.デューク・カハナモクだ。彼は銅像になって、いまでもワイキキの海岸を見渡している。だから、もう少しサーフィンのことを次回も書きたい。

     ************************    

追記・・・
このブログはついつい長い読み物になってしまうので、写真とコトノハだけで綴った、ブログをもひとつ作りました。ゆっくりのんびりアップしてゆくつもりです。左サイドバー上部、プロフィール下のバナーからも入れます。まだまだ投稿数は少ないですが、当ブログ同様、どうぞよろしくお願いします。

ウタLOG 魂の実  http://alowan.exblog.jp/

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Dec 25, 2005

南の島に残した想い

彼女の名前は、LEOおばさんといった。

彼女は、とある南の島の、大きなアトリウムのあるホテルのレストランで、ウエイトレスをしていた。私が初めてのその島にいたのは、あるカンファレンスに参加するためだった。

その島はとてつもなく大きな包容力を、ごく優しい稲妻のようなチカラで私の身体をつらぬき、そして包みあげた。初めてなのに「ただいま!」と何度も心の中でつぶやく自分におどろき、そして子どもが生まれ故郷に初めて連れてきてもらったときのように、はしゃいでいた。女神が支配する大きな火山が島の中央にゆるやかに君臨していた。island

カンファレンスも何日目かで、少々食傷気味だった。いくら興味のある海洋哺乳類がテーマとはいえ、連日朝から夜までのパネルディスカッションに真剣に耳を傾けるのはハードなことだった。私は少し休憩をとろうと、カンファレンスルームを出、宿泊のための部屋が連なる長い廊下を抜けて、レストランのテーブルに腰をおろした。

そして、メニューと水を持って来てくれたのが、LEOおばさんだった。おばさんは、当時アメリカでよく見かけたウエイトレスの制服、半そでの薄いブルーのワンピーズに白いフリルのついたエプロンと、レースのカチューシャをしていた。肌の色とトロピカルな個性的な表情で一目で、その島の古い住人とわかった。

  「Hi,調子はどう?」

ひとなつっこい笑顔でおばさんは言った。カンファレンス・ツアーにひとりで参加した私は、退屈さといくぶんの寂しさを感じていたから、彼女の母性的な微笑がきゅーんと、胸骨のあたりにある、ハートのツボに飛び込んできた。

  「ありがとう。調子はいいけど、少し疲れ気味です。」
  「どうして?」
  「今、このホテルで開かれているカンファレンスに・・」

そういいかけると、「Oh, All right .All right」
と首をふりながら、水の入ったグラスを目の前に置いた。

私はその水を飲み干した。飲んでみて、ああ、喉も渇いていたのだ、と初めて気がついた。

 「どこから来たの?」  LEOおばさんは言った。

 「日本からです。」  

 「まあ、そう!どうこの島は?」 

 「素晴らしいですね。私、初めてなのに、ただいまって言ったんですよ。空港に降りた時。もうなつかしくて、素敵でこのまま住みたいくらいです。」

 おばさんの笑顔に私の心も相当ゆるんでいたに違いない。訊かれもしないのに、そんなことをぺらぺらしゃべっていた。すると、おばさんは自分の島が褒められてうれしかったのか、ぱっと表情が紅潮し、こんなことを言ったのだ。

 「それなら住んだらいいわ。私の家にいらっしゃいよ!」

 「WHAT?」

思わずそう聞き返してしまった。住みたいという気持ちは嘘ではなかったが、言葉の通りに、私のボディー&ソウルの全てがそれに賛同する段階じゃなかったからだ。

  「あなたぐらいの英語なら、日本人向けのツアーができるし、募集だってたくさんあるわよ。ほら。」

そう言いながら、おばさんはエプロンのポケットからニューズペーパーを出し、おもむろにがさがさと求人欄を広げて見せてくれた。私はただびっくりして文字を追ったけれど、なんにも読んじゃいなかった。目は文字を追いながら、でも住むところは・・・とぼそぼそ言うのがやっとだった。

 「だから私の家にいらっしゃい。空いている部屋があるし、子ども達の朝夕の学校の送り迎えをしてくれれば、それでオッケーよ。・・・あらいけない、長話しちゃったわね。マネジャーに叱られる。ご注文は?」

私はシーザーサラダとライムソーダをオーダーした。そして料理が来てからも、たびたびおばさんは私のテーブルに立ち寄り、世間話をした。帰るときにLEOおばさんは、自分の住所を書いたメモをそっと手渡してくれた。

やがてカンファレンスと休日は終わり、私は東京に戻った。満員電車に揺られ、目の回るような忙しい日常が戻ってきた。その頃わたしは結婚を考えるようになったボーイフレンドがいた。でも彼にはLEOおばさんのことは話さなかった。特に理由はなかったが、そっとひとりで開ける秘密の小箱のようにしておきたかったのだ。

帰国して1ヶ月あまりが経とうとしたころ、私はLEOおばさんに手紙を書いた。そのまま彼と結婚すれば、その島での生活はありえなかった。でも島に住みたい気持ちに露ほどの嘘もなかった。

   『・・・こんにちは。あなたに会えて本当にうれしかったです。日本でのいろいろなことを整理して多分3ヶ月ほどしたら、またあなたを訪ねます。』
するとほどなく返事がきた。
   『あなたが英語で手紙が書けるなんて、びっくりしました。家族皆で待っています。』

でもこの手紙は結果的に嘘になってしまった。私なりに引き裂かれるほど悩んだのだけど、それまで荒れた生活をしていた私は安定が欲しかったのだ。落ち着いた家庭をもちたいと思い始めていた。結局その島を訪ねたのは、それから1年も経ってからだった。すでに結婚していた私は真っ先にLEOおばさんを訪ねようと思っていた。きっと結婚を喜んでくれるに違いないと、未熟な私は勝手に想像していた。

ホテルのエントランスを入ると、目の前に懐かしいオーシャン・ブルーのパノラマが広がっていた。私はまっすぐレストランに入っていった。おなかは空いていなかったから、レジにいたウエイターの人に「Mrs. LEOはいますか?」ときいた。しばらくすると、LEOおばさんが、あのひとなつっこい笑顔で腕を広げて私の方にやってきた。

  「ひさしぶりね。元気だった?」長いハグをしながらおばさんは言った。

腕を解くと、「私、結婚したんです」と彼女の目を見ながら言った。するとおばさんはそれに答えずに、

   「私たち、本当に待っていたのよ。あなたのこと。子ども達もあなたに会えるのを楽しみにしていたのに・・・」

その言葉を聞いて私は黙っていた。咄嗟の言葉が思いつかなかったからだ。おばさんはいつも正直でストレートだった。それは私が期待していた光景を見事に裏切るものだった。

「仕事ならまだきっとこの中にあるわ。」そう言っておばさんは、初めて会ったときと同じようにエプロンのポケットから新聞を出して私に手渡すと、そのまま調理場の方に消えてしまった。

このとき初めて、私はLEOおばさん本当に<本気>だったのだ、ということを悟った。いやそれはとっくにわかっていたはずなのに、心のどこかで、人の気持ちに少しぐらいの遊びはあるさ・・と甘えていたのだ。少なくとも、私の住む国ではそれが生きてゆくための知恵だった。でもそれは、智慧ではなかったのだ

そのまま私はなす術もなくホテルをあとにした。たとえようのないくらいの敗北感と自己嫌悪に打ちひしがれていた。それ以来私はおばさんに会う事はなかった。やがてふたりの娘が水の中で産まれた。家族でその島を訪ねても、LEOおばさんに会って、それを報告することはできなかった。そして、あの時おばさんに言えなかった一言は、ずっと私の胸のおもりになっていた。

だから・・・・・今ここで言おう。

「私は嘘をあなたに言ってしまいました。私の気持ちは嘘ではなかったけれど、準備が足りませんでした。あなたを傷つけることになって本当にごめんなさい。あなたの家族にもごめんなさい。でもおばさんの笑顔はずっと私の中にあります。どうぞいつまでもお元気で。」

人生は、いつも決断に満ちている。その時にはわからなくとも、はっきりとその後の人生を変えることがあるのだ、ということを私は知った。そしてまた、人はたくさん人を傷つけ、傷つけられながら生きている。でも言えなかった一言は歳を経るごとにその重さを増してゆく。そして、日ごろ発する言葉にこれっぽちの嘘がないかどうか、どこからが無意識の嘘になっているか、本音で人と接しているか、気をつけるようになった。おばさんは身をもって、未熟な私にそれを教えてくれた教師だった。

・・・・・ありがとう、LEOおばさん

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Dec 23, 2005

空飛ぶトナカイとサンタ一族伝説。

  昨日、NHKでパプア・ニューギニアの村のホタルを取材した番組を見た。
ただでさえ、満天の星の夜空、そのうえに何万匹というホタルがいっせいに点滅を繰り返す。・・・・・夢のようだった。大自然のアートそのものだった。しばし時間を忘れて番組に見入ってしまった。ホタルの光、彼らはどうも共鳴しながら点滅してるみたいだ。最初はいっせいに、なのだけど、そのうちに微妙にずれてきて、その時間差がまた美しい!

  まだ地球上にはあんなところが残っているんだなあ・・。つい3年ほど前までは、我が家の近くにある小川でも夏になるとホタルが見られたのに、あっという間にブルトーザーが河をさらっていった。そこはコンクリートの「水路」になった。

 ところで、「サンタクロースって本当にいるの?」子供たちに聞かれたとき、なんと答えるだろう。我が家の子供たちは今でも毎年サンタクロースに宛てた手紙を書いている。「どうなんだろう・・・?」と思いながら、彼の存在を心の奥底では信じている。

 1897年ヴァージニアちゃんと言う一人の少女が出した投書に対して、ニューヨーク・サン新聞社のフランシス・P・チャーチ記者が答えた、とても有名な社説がある。

  この世に愛と意欲と献身があるのと同じようにサンタクロースも確かにいます。……この世の中で最も確かなもの、それは子供の目にも大人の目にも見えない、ただ信頼と想像力と愛とロマンだけが見ることの出来る本当に美しいもの、真実に光り輝くものなのです。サンタクロースは、永遠に生きています。
そして、いつまでも変わらずに、子供たちの心を喜ばせてくれるでしょう。」
・・・この社説はとても大きな反響を呼んだ。

  
そして、サンタクロースが実在することを本当に証明しようと試みた人がいる。
__________「空飛ぶトナカイの物語」  ロバート・サリバン著tonakai006_edited-2

 北カナダのイヌイットの村から物語は始まる。自然科学のライターである作者は、そこでイヌイットの遠い祖先トナカイに乗ってやってきたという伝説にであう。そして、実際に博物館には樺の樹皮と動物の皮に残された、空飛ぶトナカイとそりに乗った人の絵があったのだ。

  アメリカインディアンに伝わる真冬の訪問者の話や、アボリジニに伝わる北からやってくる空飛ぶ男の伝説など、ぐいぐいと読む者の心をしっかりつかんで離さない。どうやら、サンタクロースは、ネイティヴ・ピープルにとっても、また特別に大切な存在らしいのだ。そして、世界中の科学者や史学者、物理学者、冒険家たちの証言がますます、『空飛ぶトナカイとサンタクロース一族』の実在を裏付けてゆく。・・・信じるということの叡智と豊かさに気づかされた一冊だった。

  私はこの本を読んで、もうすっかりサンタクロースを再び信じるようになった。そして、子供たちと共に、「サンタさん、どうか姿を一瞬だけでも見せてください」と祈る方に回ってしまった。今年もまた、クリスマスの準備をしながら、寒い夜空を見上げるだろう。・・・・・シャンシャンシャンというクリスタルのかけらが舞い降りるような音が聴こえたら、そのときサンタクロースは望みを叶えてくれたのだ。


空飛ぶトナカイの物語―今明かされるサンタ・クロースとそのクリスマス・ミッションの真実
ロバート サリヴァン Robert Sullivan Glenn Wolff
4087732967

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Dec 22, 2005

Good News Channelを!

  初っ端まずは「怒」のニュース。 今日、とある大型書店にでかけた。年末とあって結構混雑している。すると5メートルほど離れたところで、突然「ドサーッ」という音とともに、平積みしてあった10冊くらいの本が床にばらまけた。すごい音だった。周りには何人もの大人が立ち読みをしていた。しかし・・・・・・だあ~れも、拾おうともしないし、振り向きもしない。店員もだあ~れも来ない。私はわりと離れたところにいたので、私と現場のその間には、どう少なく見ても、10人の大人がいたのだ。その周囲まで広げたら、もっとだ。「まさか・・ね」と思い、20秒ほど様子を見た。しかし事態は変わらなかった。

                                             PICT0385 私はゆっくり近付いた。そして拾って棚に積み重ねた。落ちた本は会社四季報だった。拾っている間にも誰も来なかった。最後の2冊くらいになったとき、やっと店員がやってきた。店員は「ああ、もういいですよ」と言ったきり、私を見ようともしなかった。

・・・・これは、いったい、なんなんだ!!!
  
 どうしたら、みんなそんなに無関心になれるんだ!ひとりひとりには、そのとき拾えないどんな大事な理由があったのか、手伝えない、どんな大変な理由があったのか、私は知らない。・・・しかし、むちゃくちゃ哀しくなり、腹がたった。

  家に帰り、子供達に話すと、ふたりとも顔をゆがめた。そして、「日本ていやなことしか聞こえてこないね。テレビでもなんでもさ・・・。」と言った。それを聞いて私は、しまった!と思った。話したことをすぐに後悔して謝ると、「なんでママが謝るん?そういうのはなんでも言ってね」と来た。

   子供たちは本来、皆、よき大人になりたがっている。素直で純真な子ほど、「役に立ちたい」と思っている。「よき大人」「よきニュース」が周りになければ、そのエネルギーは弱まってしまう。無気力な大人に囲まれてまっすぐに本来のチカラを発揮できるほど、こどもは強くない。それでも、そのような環境の中でも、「よきこと」を見出してゆけるチカラをつけてやるのは、私たち大人の責任だ。

  そこで私は思うのだ。せめて、一日中、「グッド・ニュース」だけを流し続けるチャンネルが出来てほしい! どんなささいなニュースでもいいじゃないか。私たちが皆つながりを持って生きていること、とにかく、この国で生活することは、けっこう素敵みたいだと、瞬間でも思わせてくれるようなチャンネルができたら、どんなにいいだろう。

  大人もみなとても疲れている。身の回りで起きるちょっとしたことにもエネルギーを注げないほどに。それは、私も鬱になったことがあるから痛いほどわかる。何かしようと思っても、いい映画を見て感動するだけで終わってしまう。でも、無気力な無関心な状態から自分を救ってくれるのは、やっぱり行動でしかない。悔しい。

  どんなに小さなことでもいい。関心を持とう。そして声を掛け合おう。そのうちに・・・じゃなくて、今日やろう。それが他の誰でもない、自分にチカラをくれることなのだから。

  ・・・・と、自分自身に言いきかせつつ、熱くなったalowanなのでした。
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Dec 20, 2005

地球のにおい

earth    1年を通じて四季ごとに、必ず次の季節の到来を告げる「におい」を風が運んでくる日がある。たとえば、冬だったら、1月の中旬~1月下旬くらいのある日、はっきりと「春のにおい」がする日があるし、3月くらいに突然「夏のにおい」がすることもある。9月下旬~10月中旬くらいには「冬のにおい」のする日がある。

  それはどんな「におい」なのかというと、鼻で嗅ぐにおいとは少し違っていて、遠くの山や地平線の向こうからやってくる、気配とでもいったらいいのか、でも明らかに、ある種「霊的なにおい」がそこにはある。 「季節の精気がにおう」と言ったらいいかもしれないし、、バッチフラワーを知る人にはわかってもらえるかもしれない。

  朝、四つの方角に祈りを捧げる時には、スピリットの声を風が運んでくることもあるし、インディアンの人たちがよく「風」という言葉を使うのが、だから少しわかるような気がする。

  地球は自分で時速1、674キロメートル、太陽のまわりを時速10万7,280キロメートルで周っているそうだ。飛行機の時速が約1000キロらしいから、想像を絶するものすごい風を私たちは多分、内的な器官で感じ取ってるんじゃないだろうか。そのものすごい遠心力にもかかわらず、私たちが立っていられるのは、「重力」のおかげだ。それに、ナイーヴな私はこんなところでも、宇宙と地球の愛を感じてしまう。一歩大気圏を出れば、そこはもう命とは大きく隔たった場所だ。・・・お父さんである天空は、星々がたがいに引っ張り合ことで地球を支えている。・・・守られているんだなあ、と深く思う。 
  

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Dec 19, 2005

フジツボの思うツボ

  DVD『クジラの島の少女』を観た。(遅いっ!)マオリ族の12歳の少女、パイケアをめぐる物語だ。もちろんニュージーランドが舞台で2年前、世界中の映画祭で拍手喝采を浴びて観客賞を受賞し、主演の少女はアカデミー主演女優賞にノミネートされた。
原作はウィティ・イヒマエラ「WHALE RIDER」(映画名オリジナルも同じ)。

  Whale 「祖先はクジラにのってやってきた」という神秘的な勇者神話伝説を信じるマオリの一家。男を族長とする一家は双子の男女を授かるが、母親と男の赤ちゃんは産後すぐに亡くなってしまう。父親は男だけが族長になることができるとして譲らない自分の父親と島を嫌い、外国で暮らし始める。家族はバラバラになり、家には祖父と女の子パイケアが残された。

  大好きな祖父に認めてもらいたいパイケア。しかしその想いは受け入れられず、パイケアは女である自分を苦しむようになる。そんなある日、何頭ものクジラが浜辺に打ち上げられた。一族の終末の暗示だと恐れる島の人々。そのとき、パイケアは静かに一頭のクジラに近づいていった。伝説の勇者“ホエール・ライダー”の魂を受け継いだパイケアは「本来の生まれついた自分」として奇跡を起こす・・・。

  公開当時、東京ではかなり騒がれていたみたいだけれど、私はNZに行って初めてこの映画のことを知った。美しい自然描写はもちろんのこと、シャーマニズムの伝統を重んじるネイティヴの人たちの世界でも、これからの時代を動かしてゆくのに必要なのは、女性の感性だというムーヴメントが大きくうねりだしているということなのだろう。地元NZではハリウッド映画を押さえて、6週間連続トップだったというからオドロキだ。ましてや、世界中で受け入れられ賞賛された、ということが象徴していることは大きいと思う。video_index_topimage

  女性的な直感的感性+それを実際のカタチにダウン・トゥ・アースする男性的な行動力とロゴス。この両軸両極を自分の中で、ユナイトする、協力体制に整えることが、今この惑星に暮らす私たちには必要だ。自分の中にある戦いが終わらない限り、戦争はなくならない。なぜなら私たちは「ひとつ」だからだ。そして、それは当たり前の毎日の生活にこそ帰着する。動物や昆虫たちには意識的にそこをやることが不可能かもしれないけれど(実はやってたりして。)私たち人間には大きな可能性が残されていると、私は思う。・・・って言ってること自体がナイーヴなロゴスのカタマリのようにも思えたりしてしまうのだけど・・・(苦笑)

  原作では故郷を捨てたパイケアの父親の苦悩がもっと濃厚に描かれているらしい。でも私はこの映画が、女性のそれも少女の視点で描かれたということが、とても嬉しい。限りなく素直な「センス・オブ・ワンダー」がこれからの「豊かさ」のキーワードになるのは間違いない。どれだけ自分の中の少女ワクワクしながら生活できるか、これにかかっているんじゃないだろうか。

  それにしても、映画中のクジラについていたあの巨大なフジツボ。私はあれに感動してしまった。どのくらいかかって、どうやってあんなに大きなフジツボになったのだろう。ラストシーンでは(ネタバレご容赦!)パイケアがクジラに登るときの、足がかかりになる。このフジツボがなかったら、パイケアは独りでクジラに登ることができず、奇跡は起きなかったかもしれない。でかしたゾ!フジツボ! いや、それがつくりものだとしても・・ってことで。  

クジラ島の少女
クジラの島の少女

The Whale Rider
The Whale Rider

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Dec 16, 2005

五七(イナ)に綴る森羅万象

   何年か前に、神道の研究に関わる方々と知り合う機会があり、その中のおひとりから「あなたは若比売(ワカヒメ)君の流れを汲んでいる」と言われたことがある。何を根拠に・・と問われれば私も「?」で、すでにもう記憶にないのだけれど、そう言われて「へえ~っ」と思い、知りたがりなのでいろいろと調べてみた。

  a 広大な日本神話の源流をたどる微妙な世界だから、これが正解です、なんてのはもちろんない。神名義は「国を占有する巫女」の意らしく、巫女には身命がつかないことになっているらしい。そんな中でも、私なりの琴線にもっとも触れたのが、日本書紀よりさらに以前の『ホツマツタエ』に伝えられる、若比売君=和歌姫君の記述だった。mu

  『ホツマツタエ』は、父なる天『ア』母なる地『ワ』、そして子、我が身、宮である『ヤ』アワヤを弁とする、四十八音から成る『アワのウタ』を含む、古代大和ことばで綴られた一万行に及ぶ壮大な叙事詩で、縄文後期中葉から弥生、古墳前期まで約一千年の神々の歴史・文化を伝えるものだ。

  wa ワカヒメさんは伊邪那岐と伊邪那美の子供だが、ちょうどナミの厄年で、流産で生まれてしまったために、ヒルコとして葦の船に乗せて淡路(=吾恥)に流してしまう。現在のエビスさまは、もともとは、このヒルコ=蛭子(えびす)だとも言われている。スサノオ尊の姉、天照の妹、大国主神のお母さんでもある。

  ワカヒメさんはカナサキさんに神戸で拾われ、琴を弾き、和歌を読んで育つのだが、成長の過程でその節目節目を祝う年中行事のウタなどが七五調でうたわれてゆく。『ホツマツタエ』そのものが、宇宙創生、暦や方角などの森羅万象を美しく貫く叙事詩であるけれども、それを読んでゆくだけで、その掛詞や枕詞、リズムが実に実にしっとりと五臓六腑 wo にしみわたってゆくのを感じる。(実際にホツマの中に、声を出して読むと、五臓六腑緒・・イクラムワタヲを整える、というくだりがある)そして、なんともいえず、たおやかな清清しい心持になり、ホツマが言霊、音霊であるといわれる所以をわずかでも体感することができる。 

  これは伊邪那岐 那美の二神が葦原中国(滋賀)で、農業を復活させたあと、カダガキをかき鳴らしながら国を整えるために、声を合わせてうたった、ホツマの中の「アワのウタ」だ。

   アカハナマ イキヒニミウク
   フヌムエケ ヘネメオコホノ
   モトロソヨ  オテレセヱツル
   スユンチリ シヰタラサヤワ
  アワのうた

  ya スサノオ尊が姉君である和歌姫君に「なぜ五七(イナ)に綴るのか?」と尋ねると、和歌姫君は「それは天の節、天体の運行に叶った音数なのです(中略)・・・・・敷島の大和の国は和歌の道によってその根底が支えられているのです」 と答えるシーンがある。図らずも、我が父は歌書きだ。短歌や俳句ではないが、幼い頃から七五の歌を骨の髄まで沁み込まされた。だからなのか、ホツマの歌を読むとき、私は大和民族であることに、初めてしみじみ恩恵と誇りを感じることができる。先の神道の御仁は父のことを知る由もなかったのだが、「ヒメ」などという大そうなたおやかさが自分にあるかどうかは置いといて、なにかしら観ずる所があったのかしらん。今もって謎である・・・。

註)この記事は個人的な思いを綴ったものであり、ホツマツタエそのものが偽作だとの論もありますが、私は専門家ではないので、細かな誤りについてはどうぞご容赦下さい。m(_ _)m

言霊―ホツマ
鳥居 礼
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白夜に包まれた生命

  私のブログを見た昔からの親しい友人がメールをくれた。
写真家、星野道夫さんという人についてだ。まだ著作は読んでいないが、氏のHPを訪ねたら、息を呑むような、極寒アラスカの地での、
美しくも力強い風景の数々にすっかり虜になってしまった。

 四季を通じて氏の細やかで限りなく優しい眼差しが、アラスカの自然にそそがれている。深緑の苔むしたや、蒼い氷河、トナカイのようなカリブーの大移動、アザラシの親子、そして図らずも氏が命を落とす原因となったグリズリーたち。 透明すぎて痛いほどの空気は逆に暖かな子宮のまどろみへと誘うかの如く。しぶきをあげて、水を渡るカリブーたちの体温と、生きることへのエネルギーが、もう、すぐそばにあるようだ。

  アラスカに憧れ、言葉もわからないまま、身ひとつで現地に飛び込み、死の直前まで、神話世界をキーワードに日本とアラスカのつながりを求めた氏の世界に、もっと私も触れてみようと思う。なんで
今まで知らなかったんだろう・・。まずは、HPを。必見です。

星野道夫 公式サイト
http://www.michio-hoshino.com/index.html

ナショナル・ジオグラフィック・ギャラリー
National Geographic Photo Gallery: Caribou Crossing River

星野道夫の仕事〈第3巻〉生きものたちの宇宙
星野 道夫

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関連商品
星野道夫の仕事〈第1巻〉カリブーの旅
イニュニック 生命―アラスカの原野を旅する
大いなる旅路―Michio’s Northern Dreams〈5〉
星野道夫著作集〈2〉
アラスカ―極北・生命の地図

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Dec 15, 2005

この一瞬を抱きしめ合う。

 
jellycloud











   
  昨夜、クリスマスの曲を携帯でダウンロードして聞いていた時のこと、ウインドウに現われ、一秒、一秒ときざまれてゆくそのデジタルの数字が、あまりにも愛おしく、その一瞬一瞬が二度とは戻らないと、私のEGOは追いかけようとした。でも逆にカラダはす~んとその一瞬の海原に、静かに裾野を広げた。そしてふいに鼻の奥がつーんと痛くなったその時、この惑星の、彼女の意識がさざ波のように、私の意識の浜辺に打ち寄せてきた。

  これは・・「愛」だ・・・・・。

  何度も書くけど、私はこの言葉があまり好きじゃない。あまりにもいろいろな垢にまみれているからだ。なにか他の表現があったら教えてほしい。
英語の Unconditional LOVE も、私にはどこか理屈っぽい。

  でも彼女は私たちをどこまでも愛してくれている。私たちがそれを伝えれば、返事をしてくれるのだ。私たちは彼女の一部であり、誰も彼もどこまでいっても「大丈夫」なのだ。

  どんなに抱きしめようとしても抱きしめ切れない哀しさと愛おしさ。そのことの、余りある豊かさ。だから人は人を愛そうとするのだろう。その本当の意味を知るために。

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Dec 14, 2005

あったかく、冬の巣篭もり。

  ここ何日か、巣篭もり穴の中でくるまっているような心持ち。考えてみれば、そりゃそうだ。セドナもNZもいろんな意味でアドヴェンチャーだったけど、と同時に外界からの大きな刺激とも言える。刺激を受けてそのテンションを維持したいと弓を引くように引っ張る気持ちが、ともすると、毎日の生活の中でただ「ここに、いる」ということの豊かさを、みじめなものに思わせようとする。・・・sigh

  ジェット・コースターのバーから手を離し、両手を上げて乗っているときのことを思い出す。刺激も緩慢なものも、両手をあげて「任せきる」ことの大事さを思う。『鳴門の渦は舵取るな』って、確か日月神示にあったっけ。

  しばらくは、じんわり温まる、冬の巣篭もりをしよう。遠くの山で降っている雪片が風に乗って流れてくる。この辺りは晴れているから、キラキラと陽に光り、とても美しい。そうしてゆっくりと春を待つ。それが短くても、長くても、自然はひとつのサークルの中で円環を閉じる。もう一度あの言葉を味わおう。

  『ただ、ここにいるだけのしあわせ・・・』

      **********
マヤ暦 今日12・14のkinの意味

kin245 / 本能を解き放つ。銀河の音程 = (11)
太陽の紋章 = 「5Name」

実際の行動を通じて自分のさまざまな側面を統合していくことで、地に足の着いた誠実さが育ちます。しかし、自分にとっての誠実さにこだわりすぎると、既に経験していることなら理解できても、まったく違う立場にいる人に対しての接し方を見失ってしまいがちに。関心すらわかなくなる場合もあります。人それぞれ、おかれた状況も立場も違うからこそ、自分にとって新鮮な刺激となります。「まず相手の言葉に耳を傾けよう」という姿勢が誠実さを育てるということを忘れないようにしましょう。__VOICE「暦のちから」より。

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Dec 12, 2005

ラコタのチーフがNZに。

  Indigenouseな話題を書いたのでもうひとつ。マオリの文化に触れたいと思い、今も間欠泉や温泉が噴出す、ロトルアの街に行ったときのこと、 Maori Arts  & Crafts  Insutitute を訪れたのだが、ガイドツアーの順番を待っているそのとき、今回お世話になった留学エージェントのMさんが突然大声で私を呼ぶ声がした。Mさんは、彼女はインディアン・フルートを演るんです、と私を見ながら説明した。

  そこにいらっしゃったのは初老のご夫妻であった。話を聞くと、なんとラコタの方であるという。さらmaorivallage2 にもう少し話してゆくと、自分は  Oglala Lakota Collage のPresident であるというのだ。本当にびっくりした。私にとって、ラコタの人々はちょっと特別だからだ。そして、彼の祖父は、あのウンデッド・ニーの大虐殺で終着したGhost Dance Religion のMedicin manであった。そのストーリーはカレッジのWEBSITEに書いてあるから、と明るくおっしゃる。なぜ、NZの温泉街にラコタのチーフがいらっしゃるのか、その訳を訊ねると、隣町のハミルトンで WiPCE, (World Indgenouse Peoples Confernce on education) が開かれているという。つまり、世界の先住民族の代表の方が、NZに集っていたのだ。

「いつまでいるのか?」

 と聞かれ、あと2日だと答えると、最終日には一般公開のギャザリングのようなイベントがあり、さまざまな民族のパフォーマンスがあるから、ぜひそれに来るといい、またそこで会えるよ、日本人も貴重なIndigenouse peopleなのだからと誘ってくださった。奥様も本当に素敵な方だった。

 lakotachief 残念ながら、スケジュールが合わず、再びお会いすることは叶わなかったが、その場では、マオリのチーフの方がハカ・ダンスと敬意をもって丁重にラコタのチーフを迎える儀式に同席することができた。そしてさらには、ディナーの席でも場をご一緒(席は離れていたけど・・)させていただくチャンスに恵まれたのだが、最後に帰る時にはわざわざ私たちの席まであいさつまでしに来てくれたのだ。本当に IT'S  MY GREAT PLEASURE な出来事だった。彼の名前は Mr.Thomas Short Bull といった。

 その夜、モーテルに入りTVをつけると、」ちょうど映画「ダンス・ウィズ・ウルヴズ」が始まったところだった。このシンクロニシティーは何を意味するのか、私はいまだによくわからない。いや、意味なんてないのだ、きっと。ただ、ハートでこの素敵なハプニングをもう一度感じてみようと思う。
 

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Dec 11, 2005

アオテアロアの国

 Aotearoa 。 マオリ語のアオテアロアは、「白く長い雲のたなびく地」という意味("ao"=「雲」、"tea"=「白」、"roa"=「長い」)で、元々は、北島のみを指す語だった。かつては、ニュージーランド全体を指すマオリ語としては、英語の New Zealand を マオリ語訳した Niu Tireni が使われていたそうだ。kiwi2

 ニュージーランドは長い間、人の住まない無人の地だった。この島に住んでいたのは鳥だけだったとも言われている。天敵のいないこの島で、飛ぶ必要のない鳥たちもいた。その代表的な鳥が国鳥のキーウィで、今は絶滅してしまった世界最大の飛べない鳥モアもその1種だ。

 そして約1000年前に伝説の地、赤道付近にあるハワイキという小さな島に住むマオリ族のクペが、彼の妻と丸木舟で航海途中に今のニュージーランドを発見した。彼らは、火山の噴煙が長く白い雲のように見えたところより、この島を長く白い雲のたなびく国「アオテアロmoa」と名付けた。

 12世紀前後にはハワイキで人口が増加し、どこか近くの島に移住しようとなった時、かつてクペが発見したアオテアロアはどうだろうかということになった。そして7つのカヌーに分かれてアオテアロアに向けて出発した。

 「ハワイキ」からカヌーでやってきたクペがこの地を最初に発見した人物だといわれているが、マオリの人々の間では半神半人の英雄こそがマオリ族の祖先だとする神話が広く浸透している。かれらは文字を持たず、こうした歴史や文化はそれぞれの部族によって語り継がれ、彫刻や伝統舞踊などによって伝承されてきた。そして、マオリ族の酋長は自分達の所有地であり先祖からの神聖な地である山々を守るため国立公園にすることを条件として国に譲渡している。このあたりの歴史はアメリカとは大きく隔たるものがあるね。

 marivillage4 1642年に、オランダ人探検家アベル・J・タスマンが上陸する。タズマンは母国オランダのゼーランド州の名をとって「ノヴァ・ゼーランド」と命名する。これが後に,英語読みになって「ニュージーランド」と呼ばれるようになった。

 また、マオリ語とハワイ語の分岐する前の言語が日本語の祖語でもあり、その祖語の特徴を最も強く残しているのがマオリ語だという。また、マオリとはマオリ語で「人間」という意味だそうだ。そして、その神話は・・・

父なる大空ランギと母なる大地パパを引き裂き、うちつづく闇をおわらせた創成神話。日本の神話との関連が指摘される冥界神話。陸地を釣り上げ、太陽の運行を定め、人間に死をもたらした文化英雄神マウイ。―幻の故郷ハワイキから漕ぎ渡ったマオリ人の父祖たちが伝えた雄大な神話と伝説。』__「ニュージーランド神話 マオリの伝承世界」amazon bookレビューより

 今回、初めてNZを訪れてみて最初に感じたのが、世界のいろいろな場所のエッセンスがミックスされた、「どこにでもあり、どこでもない場所」という印象だった。また3度のマオリ戦争を経験しながらも、イギリスとの比較的融和な関係を結ぶことに成功している、つまり先住民と移植民が同じ「ニュージーランダー」としてのスピリットをとても誇りに思っている、という点だった。学校事情についても、この精神がとても活かされているように思う。なんというか、人を「受け入れる」ということが、ごく自然なのね。学校については、また次回に。 

ニュージーランド神話―マオリの伝承世界
ニュージーランド神話―マオリの伝承世界

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